【伝説の戦い】への序章 日本人初!3階級制覇世界チャンピオン 亀田興毅(その1)
こんばんは!下町荘の住人です!
今回も【伝説の戦い】シリーズですが『いざ!決戦!』の前にボクサーを紹介したいと思っています。
そのボクサーとは「日本人初!3階級制覇世界チャンピオン・亀田興毅」です!
(ボクサーの敬称は省略させて頂きます!)
日本人初!3階級制覇世界チャンピオン・亀田興毅
「亀田興毅!」この名前はボクシングファンでは好き嫌いが分かれるかもしれませんね!
亀田3兄弟の長男で弟には「2階級制覇世界チャンピオン・亀田大毅」同じく先日アメリカで試合を行った現役ボクサー「2階級制覇世界チャンピオン・亀田和毅」がいます!
今回は長男の亀田興毅!ボクシングを始めたのは11歳で父・亀田史郎から教わりました。
中学時代には空手とボクシングの練習を行いメキメキと力をつけていきました。
14歳の時には「元世界チャンピオン・井岡弘樹」とのエキシビジョンマッチを行ったそうです!
中学校卒業後はボクシングに専念するため高校進学はせず、社会人ボクシングの道を選びました!
アマチュア時代
アマチュアボクシングに進んだ亀田興毅…戦績は16戦15勝1敗
2002年全日本実業団選手権優勝!(15歳)
2003年全日本実業団選手権優勝!(16歳)
2003年全日本社会人選手権優勝!
アマチュアボクシング界で輝かしい戦績を残しました!
プロデビュー~世界挑戦まで!
亀田興毅は17歳の誕生日にプロボクサーとなりました!アマチュア時代の実績が評価され、日本でもトップクラスのボクシングジムでもある協栄ジムへの移籍金は3000万円と報道されました!
当時日本チャンピオンでもないボクサーに対する高額な移籍金は破格な待遇です!
亀田興毅はプロデビュー後、順調に勝ち進み7戦7勝(6KO )無敗の戦績で初のタイトルマッチ「東洋太平洋タイトルマッチ」に挑戦!(当時)チャンピオンを3RでKO勝利!
12戦目には戦績11戦11勝(10KO)無敗で世界タイトルマッチ(ライトフライ級)に挑戦し、チャンピオン・ランダエタ(ベネゼエラ)に僅差の判定ながらベルト奪還!初の世界チャンピオンとなりました!
しかしこの試合の僅差の判定はボクシング雑誌に「疑義沸騰」と掲載され、当日ボクシング中継をしたTBSには視聴者から5万件以上の抗議の電話が殺到しました!
ボクシング関係者も様々なメディアで賛否両論…その論議は他のスポーツ選手、芸能界などにも飛び火しました!
最終的にはランダエタの母国ベネゼエラでも在日大使館へ「国として謝罪すべき」「日本人として申し訳ない」と異例の問題となりました!
亀田興毅人気!
世界タイトルマッチでの判定でここまで大きな騒ぎになる…
逆を言えば亀田興毅の人気がもの凄く世界タイトルマッチの視聴率は42%を記録していました!
その人気は以前に紹介させて頂いた「辰吉丈一郎」「畑山隆則」に負けないぐらいでした!
その人気は「ビックマウス!」だ!亀田興毅は様々な方法で対戦相手を挑発したり、派手なパフォーマンスをしたりと…おかげで(?)試合はTV放送しても視聴率を上げていきました!
最初に述べた「好き嫌いが分かれる」とは熱烈なファンもいるが「アンチ亀田!」も多かったと思います!
初防衛戦!
判定問題で様々な意見、物議と騒動となりました。そんな亀田興毅の初防衛戦の相手は問題となった前チャンピオン・ランダエタと決まりました!
この試合で白黒はっきり決着がつくと日本中が注目するタイトルマッチ!
亀田興毅は今までのKO狙いから、アマチュア仕込みのフットワークを重視した戦法に変えたことでランダエダを振り回し、12回判定(3-0)勝ちを収めて初防衛に成功、前回とは違い、バッシングなしの正真正銘の勝利を得ることとなりました。この防衛成功でライトフライ級の世界タイトルを返上して主階級をフライ級に移しました!
亀田大毅と内藤大助!世界タイトルマッチ反則行為騒動!
亀田家騒動はボクシング界のみならず一般メディアでも大きく報道されました。
ことの始まりは2007年!次男・亀田大毅がフライ級チャンピオン内藤大助に挑戦した世界タイトルマッチでの反則行為でした!
最終ラウンドの前のインターバルでセコンドについていた父・史郎氏と亀田興毅が反則を指示したというものです!
亀田大毅は最終ラウンド「レスリング行為」などで1ラウンドで3点減点されるという異常事態に…
亀田家を代表して長男の興毅が記者会見で謝罪!大毅も直接内藤大助宅に訪れ謝罪することで一応は解決しました!
【伝説の戦い】へ!
詳細は後日記事にしますが、亀田大毅と内藤大助の試合で亀田家と内藤大助には大きな因縁ができ、それはこれから行われる【伝説の戦い】へと続いていきます!
続きは後日!【伝説の戦い】にて!(^^)/
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