ボクシングってどんなスポーツ?その1(ボクシングとは? 歴史編)
みなさん こんにちは 下町荘の住人です(^^)/
私の趣味である「ボクシング」というスポーツ(格闘技)を紹介したいと思います。
最近は日本人世界チャンピオンも多く、TV放送やニュースなどでも大きく取り上げて頂く機会が増えました!ルールのわからない方でも読んで頂いて「ボクシングの世界」に関心をもって頂けたら嬉しいです(^^)/
sitamachi0033114so.hatenadiary.jp
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そもそも『ボクシング』とは?
拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘スポーツです。昔は拳闘(けんとう)とも呼ばれてました。
最近は「総合格闘技」「K-1」「キックボクシング」などなど多くの格闘技が行われますが「ボクシング」は基本的に「パンチのみの打撃」が有効となります。
『ボクシング』の歴史
ボクシングの歴史は古く、紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字から軍隊で使われていたことが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からも、ボクシングの図が書かれた壺が発見されています。基本的には道具を使用されない原始的な格闘として行われておりました。
サントリーニ島で発見された少年がボクシングをしているフレスコ画
現代「ボクシング」は1800年代に行われるようになりました。ただ、現在のようにラウンド数の規定やルールの確立がされておらず、45ラウンドなど今では考えられないようなルールで行われておりました。その後『世界タイトルマッチ15回戦制』で統一され、現在は『世界タイトルマッチ12回戦制』で定着されている。
『日本ボクシング史』
本格的な始まりは渡辺勇次郎が「日本拳闘倶楽部」を開設した1921年とされています。
しかし第二次世界大戦によって、プロデビューしたばかりの白井義男を含む多くの日本人ボクサーが出征。1943年から興行を統轄していた大日本拳闘協会は1944年3月11日に同月28日をもってすべての興行を中止する声明を発表して解散しました。
終戦を迎え、戦後の混乱期ではあったが白井義男がダド・マリノとの2度の対戦を経て世界フライ級1位にランクされ指名挑戦者として世界タイトルマッチ出場可能になり、1952年5月19日、白井義男は後楽園球場で45,000人の観衆を前にマリノを下して日本初の世界王者となりました。
その後、ファイティング原田・ガッツ石松・具志堅用高をはじめとする世界チャンピオンが誕生し、日本のボクシング界は黄金期を築き上げました。
また、アニメの世界でも『あしたのジョー』などもボクシング人気の牽引となりました。
時代は平成となり、ボクシングは「冬の時代」を迎えました…
1988年11月13日に井岡弘樹が王座を失ってから1990年2月6日まで1年3か月にわたって日本の世界王者は誕生せず、世界挑戦21連続失敗…
1990年2月7日に「150年に1人の天才」と言われた大橋秀行が3度目の挑戦で階級を下げて熱狂的な勝利で世界王者となり、日本ボクシング再興のきっかけをつくりました。
この試合の4日後、東京ドームで行われたマイク・タイソン対ジェームス・ダグラス戦には日本ボクシング史上最多記録となる51,600人の観衆が集まりその前座に出場した「辰吉丈一郎」がのちの世界チャンピオンで日本ボクシングのカリスマ的存在になります。それは黄金期をはるかに超える熱狂的にファンとひきつけるものでした。
「正規チャンピオン・薬師寺保栄VS暫定チャンピオン・辰吉丈一郎」の統一戦は社会現象となり現在も伝説の一戦として受け継がれています
(当時「ニッカン」より)
現在(2019年)では、「モンスター」の異名をを持つ「井上尚弥」がWBSS(World Boxing Super Series ワールドボクシング・スーパーシリーズ)に参戦中と人気が続いている!
(選手名の敬称を省略させて頂きます。)
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